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2008年02月05日

大文字山(京の五山編)

こんにちは、はじめまして!
今日からブログに参加させて頂きます
「京都発、アンデュマリの美肌日記」
アンデュマリ
の梶浦です????
私は、京都に生まれ育ち、京都の山々を見ながら育ってきました。
中学、高校、大学と、なぜか山の中にあるところにばかり
通うことになってきました?????????`?i?????????j
きっと、山とは切っても切れない縁があるんでしょうね。。
そういうわけで、私の京都空間のテーマは京都の山々についてです。第一回目は少し季節外れですが・・・・

[五山の送り火について]

京都には8月16日に5つの山にかがり火を焚いて
先祖の霊をあの世へ返すというイベントがあります。
「五山の送り火」と呼ばれるものです。
「京都以外の人から「大文字焼き」と呼ばれることもあるが、
京都ではこれに嫌悪感を示す人が多い。」

と言われているようです。
けど・・私は、京都で生まれ育ったのですが、
普通に「大文字焼き」って言っています??
5つの山の送り火なのに「大文字焼き」の一言で総称するんですねえ。
小学校の頃から周りの人も皆、普通にそう呼んでいたのだけれど、
これはおかしなことだったんでしょうか?

[大文字]
さて、今回のテーマの大文字の送り火について、お話ししましょう。
まず大文字ですが、これは正式名称ではありません。
正式な山の名前は、如意ヶ岳(または如意ヶ嶽)といいます。
比叡山の右隣にあるちょっと小さい山です。
子供の頃、出町に住んでいたので毎年もみくちゃになりながら、
鴨川の橋の上まで見に行っていたことをおぼえています。

起源については、平安時代とも江戸時代とも言われていますが、
公式な記録に起源が一切伝わっていないので、諸説あります。
もちろん、これらの説においても真偽のほどは
定かではありません。
有力な起源説を2例挙げます。
1弘法大師空海が、疫病退散のため、
  人体を表す「大」の字を書き護摩をたいたという説
2足利義政が、実子・足利義尚冥福を祈って焚かせたという説。
後者の説では右大文字の文字は、
相国寺の僧・横川景三の筆跡により、
義政の臣・芳賀掃部が設計したといわれています。

まあ、僕にとって相国寺は子供の頃の遊び場だったので、
いまさら引き合いに出てきても、あまり歴史的重みとかを
感じませんけど???[???i?????????j
いまのように、盂蘭盆会の行事として盛んに
行われるようになったのは、天文期(1532年〜1554年)から
永禄期(1558年〜1569年)にかけてだと言われています。

大文字の送り火は、8時に点火され、8時10分頃にピークを迎えると、
8時30分には煙だらけで見えなくなってしまいます。
完全に鎮火するのはもっと後だと思われますが、
おおよそ8時30分を過ぎると、原形が分からなくなってしまいます。

子供の頃、遠くから見ると、あんなに大きい山に
あれほどはっきりした「大」の文字が見えるのだから、
その文字を構成している道は、近くで見たら
とんでもなく大きな道なんだろうな、ってずっと思っていました。
それが、小学校の遠足で大文字に登ったとき、
大の字のはらいの部分が、幅1メートルほどの階段だった
ということを知って愕然とした?????`?i???_???????jことをおぼえています。

意外に小さいものなんですね。

みなさんも見に行かれてはいかがでしょう?
遠くから見る勇壮とした光景と、
近くで見る至極普通な光景のギャップもまた楽しいですよ?????????i?V?????j

[次回]
もうひとつの大文字
   〜左大文字・地元の人はこっちを大文字と呼ぶ!〜
です☆
posted by アンデュマリスタッフ at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ▼京都空間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする