物事はさらに大きく動き始めます。
まず、嘉平衛を追い出した地元のもの達が、
嘉平衛に一目も二目も置くようになった。
よって地元淡路の協力を取り付けることが出来た。
つまり、乗組員が揃った
さらに、ずっと自分と共に船に乗り協力して
きてくれた弟に、淡路の地主の娘さんを
お嫁にもらってあげることまで出来た
ここでもひそかに嘉平衛に感動してしまうのが、
わざわざ地元から労働力を引き抜いたということ。
つまり、あれだけいじめられ抜いてきた
小憎らしい地元であるのに、自分の力で
地元の経済を少しでも潤したいと、
何かしら還元したいと考えたこと。
嘉平衛の懐の深さを感じてしまいます。
こうした地元での動きは、次には兵庫での
動きへとつながっていきます。
なんと、初めて兵庫に出てきたときに雇ってくれた
船組合の頭領が嘉平衛に株を譲るといって
きてくれたのです
頭領は体が弱いことに加え、藩の犬となって
いたため自由を全く封じられていました。
そういった事情から、彼は嘉平衛に自分の
出来なかったことを託したのかもしれません。
こうして乗組員も持ち船もさらに増え、
そしてとうとう、念願の屋号を名乗れるにいたったのです。
それが『高田屋』
淡路時代からどんなに貧しくても、
どんなにつらくても、ずーっと嘉平衛を
支え続けてきた、彼に流れる古い血筋の名前です
こうして右肩上がりに、嘉平衛の函館到来の日は
着々と整えられていったというわけです。
さて少々前置きは長くなりましたが、
次回からはいよいよ、函館と嘉平衛のつながり、
なぜ嘉平衛が函館を拠点として選んだか、
その発想と眼力をお伝えしていくことと
いたしましょう。
どうかお楽しみ。









